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【連載】見ている景色の解像度|第1回:ハリウッド式メソッドを通過したその先〜技術を学ぶことと、アーティストになることは同じではない〜

2 時間前
読了時間: 8分

前回の記事では、ボイストレーニングとは何なのか、そして「歌が上手くなる」という言葉の裏側にある矛盾について書きました。


僕は、ボイストレーニングそのものを否定したいわけではありません。


むしろ、発声を科学的に捉え、身体の構造や声帯の働きを理解しながら学ぶという考え方は、日本の発声教育を大きく前進させたと思っています。


その代表的なもののひとつが、いわゆる「ハリウッド式」と呼ばれる発声メソッドです。


SLSをはじめとするメソッドが日本に入ってきたことで、それまで感覚や経験則に頼ることが多かった発声指導に、理論や再現性という新しい視点が加わりました。


これは大きな進歩です。


ただ、僕が気になっているのは、その先です。


いつの間にか、メソッドを習得すること自体がゴールになっていないでしょうか。


発声の仕組みを理解すること。

ミックスボイスを習得すること。

高音を無理なく出せるようになること。


もちろん、どれも大切なことです。


でも、それができるようになったらアーティストになれるのでしょうか。


僕は、そうは思いません。


⸻


メソッドは、あくまで表現のための道具


発声メソッドには、それぞれの考え方やアプローチがあります。


声帯の使い方を理解することも、声区の移行を学ぶことも、身体の使い方を知ることも、歌を学ぶうえで大切な要素です。


これまで感覚的にしか説明できなかったことに、言葉や理論が与えられた。そのことによって、学ぶ側も教える側も、以前より具体的に発声と向き合えるようになりました。


僕自身、こうした知識や研究の積み重ねには大きな価値があると思っています。


ただ、ひとつ問題があります。


それらを学ぶことが、いつの間にか音楽を表現するための手段ではなく、目的になってしまうことです。


たとえば、ミックスボイスが出せるようになる。

高音が安定する。

音程が正確になる。

声のコントロールができるようになる。


これらは、発声能力の向上として評価できることです。


でも、その人の歌を聴いて、もう一度聴きたいと思うかどうかは、また別の話です。


技術的に正しいことと、音楽的に魅力があることは、必ずしも同じではありません。


ここを混同してしまうと、僕たちは発声を教えることには熱心でも、アーティストを育てることから遠ざかってしまうのではないでしょうか。


NYのスタジオで見た、音に対する異常なまでの探究心


僕が2000年にニューヨークへ渡り、音楽を学び、レコーディングスタジオの現場に触れる中で、強烈に印象に残っていることがあります。


それは、アメリカの音楽人たちの音に対する探究心です。


僕が働いていたスタジオのオーナーは、今でも忘れられない人です。


彼は、もう普通に考えれば修理する価値もないような古い機材を、部品ひとつから一から組み立て直していました。


しかも、必要な部品が別の州にしかないとわかれば、実際にそこまで飛んで買いに行ってしまう。


僕がさらに驚いたのは、キックドラムの録音でした。


もっと深く、もっと重い倍音が欲しい。


そのために彼は、自分で長い筒を作り、それをキックドラムにはめ込んでいました。そして、その筒の途中に穴を開け、そこにマイクを挿し込んで録音する。


つまり、通常のキックのマイクだけでは拾えない音を、自作の道具を使って別の方法で録ろうとしていたんです。


それだけではありません。


Pro Toolsに録音した音を、一度Studerのテープマシンに通し、そこからまたPro Toolsに戻す。


今の感覚で考えれば、ずいぶん手間のかかる作業です。


デジタルで完結させれば、もっと効率よく進められるかもしれない。


でも、彼はそんなことを気にしていませんでした。


自分が求めている音がある。

その音を実現するために、必要なことを考える。

既存の機材で足りなければ修理する。

道具がなければ自分で作る。

必要なら録音の経路そのものを変えてしまう。


そこには、エンジニアとして、そしてプロデューサーとして、音に対する一切の妥協がありませんでした。


僕が彼から感じたのは、単なる機材マニアの熱量ではありません。


「こういう音にしたい」というイメージを、決して曖昧なまま終わらせない姿勢です。


いわば、音作りにおける「たられば」を一つずつ潰していく。


あのとき、もう少し深い音にできたんじゃないか。

別の方法で録っていたら、もっと良くなったんじゃないか。


そういう可能性を、最初から諦めないんです。


自分が納得できる音になるまで、ひとつひとつの音を作り出していく。


僕は、こういう人たちと一緒に仕事をする中で、音楽に対する向き合い方そのものを学んだ気がします。


もちろん、日本にも同じように熱心なエンジニアやミュージシャンはたくさんいます。


ただ、僕がニューヨークで強く感じたのは、好きなものをとことん掘り下げることへの純粋な熱量でした。


そして、もうひとつ印象的だったことがあります。


彼らは、自分が持っている知識や経験を、学びたい人間に対して惜しみなく教えてくれるんです。


自分の知識を隠して優位に立とうとするのではなく、むしろ共有することを楽しんでいるように見えました。


なぜなら、彼らにとって大切なのは、自分が誰かより偉くなることではないからです。


好きな音楽をもっと知りたい。

もっといい音を作りたい。

もっと面白いものを生み出したい。


そのために学び、試し、議論し、また新しいものを発見していく。


知識は、自分を大きく見せるためのものではなく、好きなものをさらに発展させるための武器なんです。


僕は、この姿勢にこそ、音楽を学ぶことの本質があるように感じました。


同じ曲なのに、なぜ歌う人によって違う作品になるのか


プロデューサーとして、僕がいつも興味を持っていることがあります。


それは、同じ曲を違うアーティストが歌うと、まったく別の作品になるということです。


メロディーも、コードも、歌詞も同じ。

伴奏も同じものを使っている。


それなのに、歌う人が変わるだけで、曲の印象は驚くほど変わります。


なぜでしょうか。


声質が違うからでしょうか。

音域が違うからでしょうか。

発声技術が違うからでしょうか。


もちろん、それらも要素のひとつです。


でも、それだけでは説明できません。


その人がこれまでどんな音楽を聴いてきたのか。

どんなアーティストに影響を受けてきたのか。

どんな経験をして、何を感じてきたのか。

何を美しいと思い、何に心を動かされるのか。


そういったものが、歌の中に自然と表れてくるからです。


同じフレーズでも、ある人は少し後ろに重心を置いて歌う。

ある人は言葉の頭を強く出す。

ある人は語尾を消えるように歌い、ある人は最後まで強い意志を持って歌う。


そこに正解がひとつあるわけではありません。


その人が持っている音楽的な感覚や価値観、そして人間性が、ひとつひとつの選択に表れているんです。


僕は、これこそがArtistryだと思っています。


アーティストの個性というのは、単に声が特徴的であるとか、他の人には出せない高音が出るということだけではありません。


その人にしかできない音楽的な選択があること。

その人が歌うからこそ成立する表現があること。


そして、それは発声メソッドを習得しただけでは手に入りません。


技術を学ぶことと、音楽を深く知ること


発声の技術を学ぶことは大切です。


ただ、それと同じくらい、いや、それ以上に、自分が表現したい音楽について深く知る必要があると思っています。


好きなアーティストの歌を聴く。

その歌のどこに惹かれるのかを考える。

リズムの取り方、言葉の置き方、音の選び方を聴き込む。

ジャンルの歴史を知り、背景にある文化を知る。


そして、ただ真似をするのではなく、自分の中に取り込んでいく。


こうした積み重ねが、少しずつ自分の音楽的な語彙になっていきます。


発声の知識も同じです。


知識を持つこと自体が目的ではありません。

必要なときに使えて、最終的には意識しなくても表現の中に溶け込んでいることが大切です。


技術を意識しなくていいという意味ではありません。

技術を理解し、必要なときに選択できるからこそ、表現の自由度が広がるのです。


メソッドに自分を合わせるのではなく、自分の表現のためにメソッドを使う。


この順番を間違えてはいけないと思っています。


僕が目指したいのは、正しく発声できる人を増やすことだけではありません。


自分の声を理解し、自分の好きな音楽を深く知り、自分にしかできない表現を見つけていける人を育てることです。


調律の先にあるもの


第0回で、僕はボイストレーニングを「楽器の調律」に例えました。


どれだけ丁寧に調律されたピアノでも、それだけで人の心を動かすことはできません。


そこからどんな音楽を奏でるのか。

どんな音を選び、どんな気持ちを込め、何を伝えようとするのか。


大切なのは、その先にあります。


ハリウッド式のメソッドも、発声科学も、音楽理論も、すべて素晴らしい道具です。


それらを否定する必要はありません。


ただ、道具を使いこなせるようになることと、その道具を使って何かを生み出せることは違います。


僕たちが育てるべきなのは、メソッドを上手に使える人だけではないはずです。


技術を身につけたその先で、何を表現したいのか。


その問いを持ち続けることが、アーティストへの第一歩なのだと思います。


次回は、もう少し制作現場の話をしたいと思います。


アーティストの声は、スタジオに入った瞬間から、ひとつの作品の中に置かれていきます。


その声がトラックと出会ったとき、何が起きるのか。


そして、なぜ「歌が上手い」だけでは、作品として成立しないことがあるのか。


プロデューサーの視点から、もう少し掘り下げてみたいと思います。



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