【連載】見ている景色の解像度|第0回:『ボイストレーニング』という幻想の正体
年末に向けて、僕Hayatoが日米の音楽制作現場や最新の音声科学、そしてプロデュースの現場で見てきた「日本のボイストレーニング界のリアル」について、全4回に分けて本音でお話ししようと思います。
ここでは“アーティスト、そして、プロの現場”という文脈でお話しします。
まずは、業界の誰もが目を背けてきた、しかし紛れもない事実――「ボイトレの幻想」から始めます。
---
ボイストレーニングの現場に立っていると、ずっと拭えない「違和感」があります。
それは、ボイトレというものが「通えば歌が上手くなる魔法」や「プロになるための必須のルート」のように語られすぎていることです。
そもそも、ボイストレーニングとは一体何なのでしょうか。
少し歴史を振り返れば分かりますが、日本において2000年代に入るまで、現在のような「誰もがボイトレに通う」という市場なんて存在していませんでした。
元を辿ればボイトレとは、すでに第一線で声を使っている歌手や舞台俳優、アナウンサーといったプロが、本番前に声を整えるための「ウォーミングアップ」や「コンディショニング」だったはずです。アスリートが試合前にストレッチをするのと同じです。
では、なぜそれが「デビューするための手段」にすり替わってしまったのか?
きっかけは、プロたちが裏で行っていたその「準備運動」を、一般の人々が目にするようになったことです。
「プロがあれをやっているなら、自分たちもやればプロになれるのではないか」という、大きな錯覚が生まれた。
そして、その錯覚がいつしか大きな市場となり、全国にたくさんのスクールが生まれました。
誰も悪気はありません。けれど、「そこに行けば夢が叶う」と信じ込ませてしまった構造そのものが、僕の考えるボイトレとの「誤差」なんです。
---
■ 日本一のスター達を育てたプロデューサーの哲学
かつて、日本で最も多くのスターを世に送り出した某大手エンターテインメント事務所の創業者は、自社のタレントたちに「ボイストレーニングを強制しなかった」という有名な話があります。
なぜか。
「一人の先生に習わせると、全員が同じ歌い方になってしまい、個性が消えるから」です。
プロデューサーの視点から見れば、歌の「正しさ」や「綺麗なフォーム」なんてものは二の次です。
それよりも、その人にしか出せない声の歪み、ピッチの揺れ、泥臭い個性のほうが、何十倍も価値があることを知っていたからです。
---
■ 「音」を歌う人たち
実際、僕のもとにやってくる子たちの中にも、いわゆる“ボイトレオタク”のような子がたくさんいます。
彼らはスケール練習や最新の発声メソッドには異常なほど詳しく、綺麗な高音も出る。けれど、いざ楽曲を歌わせると、途端に魅力がなくなってしまう。
なぜなら、彼らは「歌」を歌っているのではなく、ただ「音」を歌っているだけだからです。
フォームを保ち、決められた音を正確に出すことだけに頭を使っている。そこに「言葉の感情」も「音楽の脈動」も宿っていません。
ハッキリ言いますが、ボイトレをやっても歌は上手くなりません。
「発声が上手い」ことと「歌が上手い」ことは、全く別の事象だからです。
---
■ 調律の先にある「音楽」へ
ボイストレーニングは、歌をうまくする魔法でもなければ、デビューを約束するチケットでもありません。
ただの「楽器(喉)の調律」です。
調律したピアノを部屋に置いただけでは、誰もその音色に感動しません。その調律された楽器を使って、どんな音楽を奏でるか。
「綺麗に音を出すこと」をゴールにするのか。
それとも、「楽曲という作品の中で、人の心を揺さぶるアーティスト」を育てるのか。
僕たち指導者が「調律の先にある音楽」を見せることで、目の前の生徒が見る景色はガラリと変わります。
次回は、巷で持て囃されている「ハリウッド式」と言われるメソッドを通過したその先に、プロの現場で何が求められているのか。そのリアルをお話しします。


